『百年恋歌』

1966年の「恋の夢」、1911年の「自由の夢」、2005年の「青春の夢」の三部からなる。
「恋の夢」の冒頭、横に長い窓が映り、右下にスー・チー舒淇)の横顔が見える。カメラはティルトダウンし、彼女の上半身を捉えていく。続いてカメラは左下へと移動し、ビリヤード場で玉を撞いているチャン・チェン張震)が捉えられる。玉撞き棒を持った手が写り、カメラがティルトアップするとその人物の顔が映し出される。カメラは左から右へと移動するチャン・チェンを追い、上昇して再びスー・チーを映し出す。このカメラのティルトアップが、この第一部を規定していくことになろう。続いて、自転車をこいでいる人物の足元が捉えられ、カメラがティルトアップしていくとチャン・チェンの姿が現れる。チャン・チェンは手紙をビリヤード場に運んできたのだ。ビリヤード場の若い女性(春子)が手紙に目をやる。ここでもカメラは手紙から女性の顔へと上昇するのだ。チャン・チェンは近くの港から船に乗る。彼は船の舳先に後ろ向きに座っている。反対方向からもう一隻の船が現れ、この船とすれ違っていく。新たな船にはスー・チーが乗っている。この船の交錯を捉えた映像は見事である。その後、ビリヤード場の戸口にスー・チーが現れるのだが、このショットはホウ・シャオシェン得意のロングショットで捉えられている。そしてスー・チーはこのビリヤード場で働き始める。ふとした弾みで引き出しの中の手紙を発見し、彼女はそれを読み始めるが、ここでもカメラは上へと移動する。手紙はチャン・チェンのもので、彼は徴兵にとられる前にビリヤード場に再び姿を見せる。ここでチャン・チェンスー・チーは交流を深めていくのだが、ここでのリー・ピンビンのカメラの動きは見事である。カメラはティルト、パンを繰り返し、そのフレームをスー・チーとチャン・チェンが出たり入ったりするのだ。窓にスー・チーチャン・チェンが相似的に映る様も二人の愛の高まりを物語っている。
チャン・チェンは休暇にビリヤード場に戻るが、スー・チーは既に他の場所に移っている。チャン・チェンは彼女の後を追い、彼の行程を示すかのように地名の書かれた道路標識が映し出される。いくつかの場所を訪れるが、そこに彼女はいない。チャン・チェンの足が写され、カメラがティルトアップして彼の上半身が切り取られる時、ここまで映画を見てきた観客はスー・チーの居場所が近いことをすぐさま感じ取る。そこは彼女の実家で、スー・チーからチャン・チェンに宛てられた手紙を見た母親は、実家に届いた手紙の彼女の住所をチャン・チェンに示すであろう。ついに再会を遂げた二人は、ビリヤードに興じる一人の客越しにカメラで捉えられる。ここでは二人の間に別の人物が入っているが、夜、バス乗り場へ向かう二人の間には一体何が挟まれているのであろうか?
しかし、この映画の白眉は、サイレント映画の様に撮られた「自由の夢」である。芸妓(スー・チー)と外交官(チャン・チェン)の恋愛が青白い画面ないしは琥珀色の画面の中に映し出される。第二部では娼館の廊下が縦構図で捉えられ、これが時間の経過を示す句読点として機能している。娼館のある部屋をカメラが左から右へとパンしていくと、スー・チーの姿が捉えられる。彼女を追って今度はカメラが左から右へと移動すると今度はチャン・チェンの姿が目に入ってくる。彼は左側の盥で顔を洗い、吊るされた手拭で顔を拭うだろう。その間スー・チーは左後方の衝立の後ろへと一瞬隠れる。チャン・チェンは右へと移動し腰をかけ、彼を追ったスー・チーも向かい合って腰掛ける。第二部のパンの使用を宣言した見事な導入部である。スー・チーがチャン・チェンの髪を梳き、上着を着せ、辮髪を外へと出す仕草に二人の関係は無言のうちに表されている。しかし、仲良さ気に向き合っていた二人が、最後には顔をそむけあい(座っているチャン・チェンの後ろにスー・チーが背中を向けて立つのだ)、芸妓の歌う南管が悲痛な響きをあげる。何人かの男性が円卓を囲み茶を嗜んでる近くで、スー・チーが南管を歌っているのだが、最初の場面では彼女の方を振り向いたチャン・チェンは、第二部ラスト間際では彼女に一顧だにしない。そして、今までパンを繰り返していたカメラがラストに何かを捉えるとき、カメラがまたしてもティルトアップしていく様を人は見るだろう。その何かとは第一部でも重要な役割を果たしていたものである。
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』に比すべき陶酔感を味わえる傑作。